2015年10月20日火曜日

西洋記41

第二十四回 唐状元射殺老星 姜金定囤淹四將

 唐英が矢を射るが、姜老星がにらむと矢がそれる。三本とも矢がそれたので、姜老星が射る番だと言う。唐英は矢をそらしたのなど珍しくもないと言い、見たことも聞いたこともない三つの射法があるという。射天、射山、射石頭。
 天を射ることなどできるわけがないと言う姜老星。唐英が天を射ることができたら降参する、射ることができなければ唐英が降参ということになる。
 軍用には、狼牙棗子箭、一寸二分闊的鏟馬箭、響撲頭箭がある。唐英は音を立てて飛ぶ撲頭箭を放ち、天を射たと見せ、空を見上げている姜老星をだまし討ちにし、射殺す。

2015年10月18日日曜日

西洋記40

 張西塘が敷いた陣に姜老星が単騎で駆け込むと、黒い旗がひらめき、黒い霧が天をさえぎり、狂風が吹き、手の先も見えないほどになる。姜老星は生けどりにされるが、頭を揺すり、肩から宝貝の九口の飛刀を出して逃げる。
 さらに挑戦してきた姜老星と張先鋒が戦うが、四十合あまり戦っても勝負がつかない。姜老星が逃げたので張先鋒が追うと、姜老星は九口の飛刀を出す。打ち合わせどおり、飛刀に銃や火矢をあびせると、姜老星は引き返した。張先鋒も船にもどり、出陣しないようにと軍令を出す。
 だが、姜老星が挑戦してくると、血気さかんな兵たちが姜老星を大勢で取り囲む。すると、息子の姜盡牙、姜代牙が現れ、姜老星を救おうとする。
 姜老星は真言をとなえて九口の飛刀を出し、それを見た兵たちはふらふらして、逃げ帰る。
 次は、金吾前衛指揮の王明が姜老星と戦う。五十合ほど打ち合い、姜老星が逃げる。王明が追う。姜老星が飛刀を用いる。王明は飛刀に対処するが、最後の一つが手に当たる。
 もどった王明が、軍令違反で斬られそうになるのを息子の王良が命乞いする。
 功をもって贖罪とすることになり、王良が出馬、姜老星と戦う。
 姜老星は負けたふりをして逃げ、追いかける王良に向かって飛刀を用いるつもりだったが、王良は追わない。それを繰り返すこと三日。四日目には、王良は追い、飛んできた飛刀を槍で姜老星に向けてはじき返し、姜老星は飛刀をおさめ、二人は刀と画戟で激しく戦う。
 そこへ征西後営大都督、武状元の唐英が駆けつけ、唐英と姜老星が激しく戦う。長い打ち合いのあと、唐英が負けをよそおって逃げる。姜老星は、計略だと気づいていたが後を追い、唐英が放った矢を手づかみにする。矢の名手であった唐英は驚き、さらに第二の矢を放つが、これも手でつかまれる。さらに放った矢は、口で止められた。
 今度は姜老星が負けをよそおって逃げ、飛刀を用いるのを、唐英が矢で射る。
 勝負がつかず、今度は矢で勝負することになる。

2015年10月15日木曜日

西洋記39

 金蓮宝象国の総兵占的裡は、明国の大軍が攻めてきたと聞き、軟水洋も吸鉄嶺もあるのにと思うが、確かに明国の大軍が攻めてきたとわかり、肝をつぶして、国王に面会し、三宝太監、王尚書、張天師、碧峰長老のことを奏上する。
 王に、部下たちが次々と降伏を勧めるが、ただ一人、三太子だけは崑崙山の刺儀王父子に帰ってきてもらうよう勧める。
 そこへ、刺儀王の姜老星忽刺、姜盡牙、姜代牙父子が帰る。
 王は、刺儀王に五千の兵を与え、刺儀王は哈密西関に向かい、明軍と対峙する。
 翌日戦うことになり、両軍は広野に陣を敷く。

 明軍の張先鋒は、左に黄全彦、右に許以誠。金蓮宝象国軍は画棹方天戟を手にした姜老星忽刺。
 張先鋒が、通行証を出し、玉璽を献上すれば何もしないと言い、老星忽刺は漢の光武帝が関を閉ざして西域に謝罪した故事を持ち出し、領域侵犯するなと言う。お互いに譲らず、戦闘が始まる。
 姜老星と張西塘が打ちあうが、五六十回戟と刀を合わせても勝負がつかない。
 さらに二人ずつが出て打ちあうが、日が傾いても勝負がつかず、おのおの陣に引く。
 翌日は張西塘が姜老星に陣立て勝負を挑む。

2015年10月7日水曜日

西洋記38

 数日進むと、藍旗官が錨を降ろさせた。何があったのかと三宝太監が驚く。藍旗官が、人がたくさんいて建物もあるから西洋の国に違いないという。
 人をやって確認したところ、そこは、「哈密西関」で、さらに先に「金蓮宝象国」があるとわかる。
 支度を調え、金蓮宝象国に向かう。

 征西左先鋒の大将軍・張計、別号西塘。定元の人で、もとは南京羽林左衛総指揮が名乗り出て、一番先に向かう。


2015年10月6日火曜日

西洋記37

第二十二回 天妃宮夜助天燈 張西塘先排陣勢

 碧峰長老が甲馬を用いて錨を運んで船にもどさせる。
 いよいよ西洋、気をつけなければならない。
 海は広く道はわからず、雲が広がりって太陽が隠れ、何も見えなくなってしまう。三宝太監はあわてる。王尚書が国師に対応してもらったらと太監に進言していると、天地が暗くなり、波は高く、西から狂風が吹いてくる。
 風で隊列が崩れ、天師の船、国師の船、二隻の軍船が別れ別れになる。
 三宝太監と王尚書が天に祈ると紅燈を手にした天神が現れ、風と波をおさめて、大小の船は再び集まる。天神は天妃であった。


2015年9月28日月曜日

西洋記36

第二十一回 軟水洋換將硬水 吸鐵嶺借下天兵

 碧峰長老は船を止めさせる。軟水洋についたのではないかと言われて、三宝太監はおびえる。
 碧峰長老は竜宮に行き、東海龍王・敖広に面会する。
 東海龍王は軟水洋の事を話す。
 太宗と玄奘の西天取経の由来の話が出る。

 碧峰長老が鉢を用いて軟水を去り、船は前に進めた。

 次の難所は吸鉄嶺。牒文を焼き、霊霄宝殿の玉帝に、吸鉄嶺を越えるときに天兵に錨などを運んで欲しいと奏上する。三十六天罡が天兵を率いてやって来て、錨などを運ぶ。また、碧峰長老は西海龍王・敖順に頼み、一千の水獣を出して船を運んでもらう。

2015年9月15日火曜日

西洋記35

 話をして、兵士たちが海の水を飲んでいるので塩で体をこわしたことがわかる。碧峰長老の船だけは水を取るときに碧峰長老の数珠を使って真水にしていたので無事だったのだ。
 長老が、各船に数珠を貸し、真水を取るようにすると、みなは元気になった。

 続いて暴風に遭う。
 長老が画匠に僧鞋を描かせ、船首に掛けさせると、風が穏やかになった。長老の僧靴には四句の詩が書かれていて、画匠たちはそれも写していた。張天師が、それは達摩祖師の詩であると言い、由来を語る。
 二人の元帥が張天師の博識に感心していると、船が進めなくなったという伝令が入る。

2015年9月9日水曜日

西洋記34

第二十回 李海遭風遇猴精 三宝設壇祭海瀆

 四匹の小猿が母の命を受け、崖の下を見ると泣いている者がある。声をかけ、母に言われて藤の蔓を綱にして李海を助ける。李海が母猿に目通りすると、母猿は婦人の姿に、小猿たちは下僕の姿に着替え、李海をもてなし、李海と母猿は結婚する。
 山上で雷のような音を聞いた李海が母猿に問うと、雷ではなく大蟒が下山して水のところに行く時に立てている音だという。
 蟒が持つ夜明珠を取って献上しようと思い、李海は大蟒を倒そうと考える。
 計略を立て、大蟒の命数が定まったという李海。老猿も指を折って占い、大蟒の命数が定まっていると言う。
 李海は、自分は諸葛孔明の馬前神数を使ったと言う。李海は大蟒の通り道に槍をしこみ、倒した大蟒から夜明珠を取り出す。老猿は、術を使って李海の腹に珠を収める。珠は生きていて、生き血を養分としているのだという。
 李海は老猿から恐れられたのを知り、身を慎み、宝船が行って戻ってきて、連れ帰ってくれるのを待っている。

 さて、宝船の方は、祭りを行ってからは波が静まり、順調に海を進んだのだが、数日して、兵士たちがみな疲弊して寝てしまうという事態が発生する。ただ、国師の船の部下たちだけは無事であった。

2015年7月3日金曜日

西洋記33


 国師は、『三国志』の諸葛亮が濾水を祭った説話を話す。
 病気の軍人の衣服に動物の血をつめたものを贄として祭りを行うと、白龍の妖怪は去り、波は静まり、宝船は進めるようになった。

 だが、この時、水に落ちて助けられなかった軍人が一人いた。
 それは南京水軍の右衛の軍士で、姓を李、名を海と言う者であった。波に飲まれ、流されて二、三百里の遠くの山のふもとに流れ着く。
 夜を明かし、心細く、どうしていいかわからずに泣いていると、山の老婆が驚く。
 この老婆はもともとは彌羅国王の娘で、兄の一人が王、もう一人が公、弟たちは伯、子、男とされている。麻鵲を飼っており、五百年飼っていたら言葉を覚え、好きに飛び回るようになった。ある日、終南山に飛んできて、後羿に行き会い、射られて死んだ。驚いて中国に来て周の天子に言うと、周の天子は堂を降り、敬意を表した。後に秦の始皇帝が正宮皇后にしようとしたが、断った。あちこちを流れ歩き、恋も多くした。韓信も来て戯れ、手で殴って韓信を病気にした。高祖に従い、監禁させると、すぐに貴人たちが牢から出そうとした。
 彼女が言う。
「南膳部洲には住みがたい、東勝神洲に行き花果山に住みましょう」
 孫行者(孫悟空)と争う(いい仲になる)。入り江を登り、この山に住むことにする。この山は、封姨山と呼ばれるようになった。ここに住み、猿となる。長年あれこれあって、四人の子どもを育てる。子どもは四匹の小猿であった。
 ある日、老猿が洞の中で座っていると、山の岩の下から鳴き声が聞こえ、慈悲の心を起こし、子猿たちを呼んだ。
 様子を見てこいと言われた小猿たちは山の岩の下に向かう。


西洋記32

 白龍江に着く。
 またしても波が荒れており、船が進めなくなる。

 三宝太監(鄭和)と王尚書が張天師のもとを訪れ、妖怪ではないか?と尋ねる。
 張天師は、蛟龍ではないかと言う。
 さらに、三宝太監と王尚書は、国師のもとも訪れる。
 国師・碧峰長老は、船にしつらえてある蓮台の上に座っている。
 国師は、二人と共に懸鏡台に行き、三丈もの大きさの丸い照妖鏡を使って人食い白龍であることをつきとめ、これは張天師にまかせるという。
 張天師は、ここの老龍の由来を話す。
 黄帝が荊山で鼎を鑄た時に、ここの老龍に乗って天に昇り、天で悪さをしたので九天玄女が捕らえ羅墮閣尊者のもとに送った。尊者は鉢の中で龍を飼っていたが悪さがやまず、世に下っては張果老の驢馬を食べたり、周の穆王(穆天子)の八匹の駿馬を傷つけたりした。朱浮が屠龍法を学んで退治しようとし、巴蜀の橘の実の中に閉じ込めた。囲碁の賭けで放され、再び葛陂に来て費長房に行き当たり、棒で打たれて痛みに耐えかねて華陽洞に逃げ込む。呉綽の斧を受けて頭は落ちなかったものの項の下の珠をなくし、天に帰れなくなり、またこの白龍江にいて、害をなしているのだ。ますます人食いがひどくなり、五百人に一人欠けても満足しなくなっているという。
 五百人は多いが、同じ「五」だから五十人でどうだろうか、と三宝太監が言う。病気を訴えてきた軍士から五十人を選んで祀ったらいいのではと言うのに対して、王尚書は人命は大切だから無辜の者を殺して祭るのは忍びがたいと言う。
 馬太監は仇敵であり、反対意見を述べ、たった五十人の病人ぐらいいいだろうと言う。
 王尚書がさらに無辜の人を五十人も殺したら人心が落ち着かないと述べる。
 三宝太監は病気の軍人から五十人を選ぼうとする。これを聞いて皆は、自分は病気ではない、病気は治ったと言う。だいたい仮病で、数日食べなかった分、しっかり食べ、身支度を整え、元気な姿になってしまうと、無辜の命を取るのはどうかということになる。

 王尚書が国師に教えを請うてはどうかと言う。

西洋記31

第十九回 白鱔精鬧紅江口 白龍精吵白龍江

 張天師が術を使い、書いた符を船の下に投げると、水の中から年寄りが現れる。背が低く、こもを背に、口を大きく開け、飛符を飲んでしまう。その姓は「沙」。
 次の霊官符は禿げた白い顔の書生が袖にしまってしまう。その姓は「白」。
 次の黒煞符は水中から現れた乞食が食べてしまう。大頭鬼であった。その姓は「口天の呉」。
 符が効果がないのを三宝太監が笑う。

 張天師はさらに雷公符を書いて船首の下に投げさせる。今度は老女が現れて符を空中に吹き飛ばす。その姓は「朱」。
 次は急脚符。これは鬚があるのと角があるのの二人の老人、さらに老人が現れて消してしまう。姓名は答えず、「不消你左符右符,酒兒要幾壺;左問右問,豬頭羊肉要幾頓。」と言った事から、天師がこれは酒食を要求しているのだという。国師に頼んだらという三宝太監に対して、張天師は自分に課された事だから自分ですると言う。

 張天師は髪をふりみだし、北斗を踏み、呪文を唱え、符を焼き、令牌を三度敲いて叫ぶ。
「一擊天門開,二擊地戸裂,三擊天神赴壇!」

 すると、紅江口の鎮守の黒風大王が現れる。
 黒風大王は十匹の妖怪が邪魔をしていると言う。
 先ほどの十人の正体は、それぞれ河豚、ヒトデ、蝦、鲨魚、白鱔(鰻)、呑舟魚、猪婆龍、赤蛟、蒼龍、白鱔であると明かす。

 天師が豚や羊を殺し、祭りをとりおこなうと妖怪たちは喜んで去るが、白鱔だけは去らずに頭を左右に揺すっている。天師が、戻ったら「紅江口白鱔大王」として祀るとなだめると、白鱔は去る。

 波は静まり、宝船は進めるようになる。

西洋記30

第十八回 金鑾殿大宴百官 三汊河親排鑾駕

 葫蘆釘角の力により、碇が作られる。雨が降って温度が下がったところで地面の中から碇が掘り出される。

 張天師が、葫蘆釘角は実は天界の左金童胡定教真人であったと言う。

 船も碇も整ったので、出発の日時が諮られる。
 時は永楽五年正月十四日。碧峰長老が、明日は上元日で吉兆だから、開船に良いというので、用意が調えられ、宴席が設けられる。

 碧峰長老には、八宝の飾りがある僧帽、魚の腹のように白い身、鵞鳥のように黄色い偏衫、龍の錦の袈裟、五指の幅の玉帯、龍鳳がからむ靴下、二匹の龍が珠と戯れる柄の僧鞋が用意され、盆に載せられて捧げられる。また、天子が書いた「大明国師金碧峰」の金牌も用意される。
 その他、三宝太監をはじめ、みなに金品・権限などが贈られる。

 犠牲を捧げて祭文が読まれ、祭りが行われ、人員が乗り込む。
 天子が船を見送りに来る。

 星の如く並ぶ船容。各々の旗の文字などが羅列される。

 天子が乗船し、祭りを執り行って帰朝する。

 三宝太監が将令を発する。
 いつ開船するのかとの問いに、碧峰長老は、すでに開船していると言う。
 だがまだ、綱でつながれている。
 張天師が三宝太監のところを訪れて、道士や楽舞生が海に出るのを怖がっているので術を使うと言う。

 海が荒れた難所があり、三宝大鑑と王尚書は生きた心地がしない。

 三宝太監が張天師の宝船を訪れる。

 海が荒れて船が進めないと言われて、張天師は「免朝」と書いた紙を水に投げ落とさせる。すると、なにやら目鼻もない妖しい年老いた者が姿を見せて消える。その姓は「江」であるという。
 次に、「天将」の二文字を船首の下に落とすと、長い鬚で背に弾弓を背負った者が水の中から現れて紙を散り散りにした。その姓は「夏」であるという。
 さらに、「天兵」という文字は水中から子どもが引き裂いた。その姓は「鄢」であるという。
 どんな妖怪が無礼を働いているのか、と張天師は符を取り、剣を取り、術を使おうとする。

西洋記29

第十七回 宝船廠魯班助力 鉄錨廠真人施能

 天子が文武百官を集めて工事のことを尋ねる。無言であった劉誠意が袖の裏で占い、天神の助力があったからできたと言い、七日身を清め、どの天神が助力してくれていたのか確かめることになる。

 はたして、天神が現れ、消える。
 その言動と姿から魯班と判明する。

 こうして宝船ができあがり、次は碇。
 詳細を知らせて作らせるが、できあがらないため、多数の工人が処刑される。
 やがて葫蘆釘角が抜擢され、台を作って師と拝し、剣を与えて好きに処罰できるようにしてくれれば作ると言う。



西洋記28

第十六回 兵部官選将練師 教場中招軍買馬

 さらに指揮官やら兵員やらが決まり、教練が行われる。
 さまざまな種類の馬が買い集められる。(ここでも馬の種類の強烈な羅列)


 一方、金碧峰長老は長乾寺で説法を行っていたが、聖旨で呼び出される。
 碧峰長老は、三宝太監は凡胎ではなく、上界の天の川に住む一匹の蝦蟆精が転生したものだと言う。また、兵部尚書もまた凡胎ではなく、天界の白虎星が臨凡したものだと言う。

 他にも天の星の下凡がいるのではと言う天子に、碧峰長老は、天機は漏らしたくないから、西に向かった後、誰が出陣した等を書き記しておくから、星の動きと比べれば明白になるだろうと言う。

 宝船を作る資材として、皇宮の工事用のものをまわすことになる。
 天子はすべてを国師・碧峰長老に一任する。

 碧峰長老の言葉通り、九月五日に水位があがり、木材が工場に到着し、船の工事が始まる。十年はかかるだろうと言われていた。

 多くの船の内、征西大元帥之府、征西副元帥之府、碧峰禪寺、天師府をかたどった四隻は他と異なる。


 工部尚書から八ヶ月に満たずして船ができあがったと言ってくるが、天子は顔を真っ赤にして怒り、文武百官に告げる。

2015年6月28日日曜日

西洋記27

第十五回 碧峰図西洋各国 朝廷選掛印將軍

 碧峰長老は自分は軟水洋を越えることができると言い、そこから南は南膳部洲、軟水洋から西に行けば西牛賀洲つまり西洋国だと言い、十八の国の名を挙げて説明する。それによれば、

一 金蓮宝象国
二 爪哇国
三 女児国
四 蘇門答剌国
五 撒發国
六 淄山国
七 大葛蘭国
八 柯枝国
九 小葛蘭国
十 古俚国
十一 金眼国
十二 吸葛刺国
十三 木骨国
十四 忽魯国
十五 銀眼国
十六 阿丹国
十七 天方国
十八 酆都鬼国

 天子はどのぐらいの人員兵力が必要かと問う。
 これにも文書が用意されており

総兵官一人 征西大元帥
副総兵官一人 征西副元帥
左先鋒一人 征西左先鋒大將軍
右先鋒一人 征西右先鋒副將軍
五営大都督五人 中都、左都、右都、坐都、行都の各征西大都督
四哨副都督四人 参将、游擊、都事、把總の各征西副都督
指揮官百人
千戸官百五十人
百戸官五百人
管糧草戸部官一人
観星斗陰陽官十人
通訳番書教諭官十人
通事的舍人十名
打乾的余丁十名
管医薬的医官医士百三十二名
三百六十行匠人 毎行二十名
雄兵勇士 三万名ちょっと
神楽観道士 二百五十名
朝天宮道士 二百五十名

 さらに、国師として碧峰長老、天師として張天師が向かうことになる。

 そして必要な船団として

 九本の旗竿のある宝船三十六隻 長四十四丈四尺 幅十八丈
 五本の旗竿のある戦船百八十隻 長十八丈 幅六丈八尺
 六本の旗竿のある座船三百隻 長二十四丈 幅九丈四尺 
 八本の旗竿のある馬船七百隻 長三十七丈 幅十五丈
 七本の旗竿のある兵糧船二百四十隻 長二十八丈 幅十二丈

 合計一千四百五十六隻が記された文書が渡される。
 天子は、かかる費用が莫大になるのを憂うが、伝国の玉璽を取り戻したいという気持ちが勝る。

 皆に下す印についても、宝物庫のもので足りることがわかり、皇帝は翌日、百官を集めて、西洋行きを命じる。

 天文官の星読みなどをもとに、人員が決められていく。

 三宝太監・鄭和が征西大元帥の印をいただき、総兵官となることになる。

 他、推挙されて人員が定まっていく。

 ここで、「一個站著,就是李天王降下凡塵,手裡只少一把降魔劍」「一個坐下,恰如真武爺坐鎮北極,面前只少一桿七星旗」といったように、神々がたとえに出されているのも、神怪的に面白い。

2015年6月27日土曜日

西洋記26

第十四回 張天師倒埋碧峰 金碧峰先朝万歳

 天子は、張天師に金牌を与え、五台山文殊寺の碧峰長老に会いに行かせる。

 碧峰長老は、張天師の思惑を察知し、五台山の僧たち、弟子の非幻、孫弟子の雲谷とともに迎える準備をする。

 張天師は、たくさんの僧たちに出迎えられる。そこに碧峰長老がいないので、張天師はなぜ長老が聖旨を聞きに出迎えないのか僧たちにたずねる。
 方丈にいるといわれて進むと、棺がある、壊すと、中で長老が死んだようになっている。
 張天師は閉息の法だろうと思うが、一計を案じて碧峰長老を埋葬しようとする。

 張天師は、深い穴を掘らせ、頭を下に足を上に棺を入れる。だが、これはすべて碧峰長老が事前に見透かしていたとおりだった。碧峰長老は裏をかいて、南京に向かい、天子に目通りし、張天師に恥をかかせることにする。

 張天師が碧峰長老を埋葬して南京に戻った時には、碧峰長老は天子に目通りし、張天師が碧峰長老を逆さまに葬ったことを話していた。
 張天師は喪に服す装いで天子に目通りし、碧峰長老の喪に服しているのだと言う。
 天子が碧峰長老を呼ぶ。張天師は大恥をかかされ、碧峰長老に拝礼する。

 天子は碧峰長老に話をし、西洋行きを問う。

 碧峰長老は西洋方面の山や海や国の名が書かれた絵地図を天子に見せる。

 碧峰長老は西洋に行くには吸鉄峰や軟水洋といった難所があるという話をする。

 天子は軟水をどうしたら越えられるのかと問う。