2015年7月3日金曜日

西洋記32

 白龍江に着く。
 またしても波が荒れており、船が進めなくなる。

 三宝太監(鄭和)と王尚書が張天師のもとを訪れ、妖怪ではないか?と尋ねる。
 張天師は、蛟龍ではないかと言う。
 さらに、三宝太監と王尚書は、国師のもとも訪れる。
 国師・碧峰長老は、船にしつらえてある蓮台の上に座っている。
 国師は、二人と共に懸鏡台に行き、三丈もの大きさの丸い照妖鏡を使って人食い白龍であることをつきとめ、これは張天師にまかせるという。
 張天師は、ここの老龍の由来を話す。
 黄帝が荊山で鼎を鑄た時に、ここの老龍に乗って天に昇り、天で悪さをしたので九天玄女が捕らえ羅墮閣尊者のもとに送った。尊者は鉢の中で龍を飼っていたが悪さがやまず、世に下っては張果老の驢馬を食べたり、周の穆王(穆天子)の八匹の駿馬を傷つけたりした。朱浮が屠龍法を学んで退治しようとし、巴蜀の橘の実の中に閉じ込めた。囲碁の賭けで放され、再び葛陂に来て費長房に行き当たり、棒で打たれて痛みに耐えかねて華陽洞に逃げ込む。呉綽の斧を受けて頭は落ちなかったものの項の下の珠をなくし、天に帰れなくなり、またこの白龍江にいて、害をなしているのだ。ますます人食いがひどくなり、五百人に一人欠けても満足しなくなっているという。
 五百人は多いが、同じ「五」だから五十人でどうだろうか、と三宝太監が言う。病気を訴えてきた軍士から五十人を選んで祀ったらいいのではと言うのに対して、王尚書は人命は大切だから無辜の者を殺して祭るのは忍びがたいと言う。
 馬太監は仇敵であり、反対意見を述べ、たった五十人の病人ぐらいいいだろうと言う。
 王尚書がさらに無辜の人を五十人も殺したら人心が落ち着かないと述べる。
 三宝太監は病気の軍人から五十人を選ぼうとする。これを聞いて皆は、自分は病気ではない、病気は治ったと言う。だいたい仮病で、数日食べなかった分、しっかり食べ、身支度を整え、元気な姿になってしまうと、無辜の命を取るのはどうかということになる。

 王尚書が国師に教えを請うてはどうかと言う。

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