2015年7月3日金曜日

西洋記33


 国師は、『三国志』の諸葛亮が濾水を祭った説話を話す。
 病気の軍人の衣服に動物の血をつめたものを贄として祭りを行うと、白龍の妖怪は去り、波は静まり、宝船は進めるようになった。

 だが、この時、水に落ちて助けられなかった軍人が一人いた。
 それは南京水軍の右衛の軍士で、姓を李、名を海と言う者であった。波に飲まれ、流されて二、三百里の遠くの山のふもとに流れ着く。
 夜を明かし、心細く、どうしていいかわからずに泣いていると、山の老婆が驚く。
 この老婆はもともとは彌羅国王の娘で、兄の一人が王、もう一人が公、弟たちは伯、子、男とされている。麻鵲を飼っており、五百年飼っていたら言葉を覚え、好きに飛び回るようになった。ある日、終南山に飛んできて、後羿に行き会い、射られて死んだ。驚いて中国に来て周の天子に言うと、周の天子は堂を降り、敬意を表した。後に秦の始皇帝が正宮皇后にしようとしたが、断った。あちこちを流れ歩き、恋も多くした。韓信も来て戯れ、手で殴って韓信を病気にした。高祖に従い、監禁させると、すぐに貴人たちが牢から出そうとした。
 彼女が言う。
「南膳部洲には住みがたい、東勝神洲に行き花果山に住みましょう」
 孫行者(孫悟空)と争う(いい仲になる)。入り江を登り、この山に住むことにする。この山は、封姨山と呼ばれるようになった。ここに住み、猿となる。長年あれこれあって、四人の子どもを育てる。子どもは四匹の小猿であった。
 ある日、老猿が洞の中で座っていると、山の岩の下から鳴き声が聞こえ、慈悲の心を起こし、子猿たちを呼んだ。
 様子を見てこいと言われた小猿たちは山の岩の下に向かう。


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