2013年11月26日火曜日

西洋記12

 帝釋天に敗れて、蓮の穴の中に阿修羅が隠れているんですね。



 ここでちゃっかり。

碧峰道:「老禪師戰怎麼會敗?」
阿修羅道:「摩天鳩鳥九頭毒,護世那吒八臂長。」



 こういう、どこからか取ってある破片がたくさん小説の中に残されているわけですね。

西洋記11

第五回 摩訶薩先自歸宗 迦摩阿後來復命

 なぜ頭は丸めたのに鬚はそらないのかと問われても金碧峰長老は答えない。
 四月八日潅仏会、碧峰会の蓮花宝座の上に金碧峰が端坐すると、金の光がたちのぼり、早くも姿が見えなくなる。
 金碧峰は六和塔の上。混乱する衆人を見て目を汚さないためだとか。
 何故混乱しているのかと衆人が問うと金碧峰は鬚があったりなかったり多かったり少なかったりで混乱するという。
 金碧峰は鬚のある者とない者にみなをわけ、ひげの多い順にならべる。

 一番鬚が多かったのは美髯公(関羽)
 ひげが少なかったのは、虯髯公

ひげがあると丈夫に見えるということで、鬚を残して丈夫をあらわしていたのだ。


 みながふところにしていた絹が消える。
 碧峰長老は何が起きたのかを見破る。
 弟子の行き先を見たところ、桑園の中の小さな家、竹を編んだ門、架子(棚)の上には青い頭の虫。
 弟子はイモムシに変化して繭の中に消えた。

 碧峰長老が追うと、一人の禅師がいて、その弟子は身を翻して出て行ったという。禅師は法名を慧達といい、昼は高い塔の上で説法し、夜は繭の中に住んでいるという。

 碧峰はさらに追い、西湖の上陸宣公祠堂左側の雑貨店の蓮の穴の中に逃げたのを見つける。

 碧峰長老が追うと、一人の禅師がいて、その弟子は身を翻して出て行ったという。禅師は法名を阿修羅といい、帝釋天との戦いに敗れて蓮の穴の中に隠れているという。

 碧峰はさらに追い、西湖の北首 宝石山の上で火の手が上がっているのを見る。
 あの佛弟子が火の中に逃げるのを見た碧峰は怒り、塔をひねって禅杖に変え、さらに九個の鉄盤を九個の鉄環にする。この九環錫杖は終身持つことになる。
 九環錫杖で火をおさめる。
 弟子は今度は逃げずにひざまずく。
 杖で打とうとすると、弟子がこれは禅機だったのだと叫んで手を止めさせる。

 皮が疲、絹が倦の意味で、それが失われる、つまり、疲れも飽きもしなかったという意味だという。
 また、なぜ弟子と言ったのかという問いには、錦嚢をもらった中に「天開眼」の文字があったからだという。
 弟子は、摩訶薩だと正体を明かす。
 鄞長者のところに生まれ、出家して寶福禪寺にいて、飛喚と呼ばれている。

 迦摩阿のほうはどうなったかと問われて、
そちらの錦嚢には、「雁飛不到處」の五文字が入っていたという。
 迦摩阿は、童長者のところに生まれ、出家して白雲禪寺にいて、雲谷という法名だという。

 飛喚は雲谷を探しに行くが、なかなか見つからず、老僧から聞いて山の岸壁の小さな石洞にむかう。

  蓬島不勝滄海寒,巨鼇擎出九泉關。
  洞中靈怪十三子,天下瑰奇第一山。
  棹曲浩歌蒼靄外,幔亭高宴紫霞間。
  金芽自蛻詩人骨,何必神丹煉大還。

 という詞が残されている。
 見つからないので、残されていた詞を杭州の師匠の碧峰のもとへ持ち帰る。
 はたしてそれはどんな意味だったのであろうか?


2013年11月23日土曜日

西洋記10

 燃燈古仏由来。
 もとよりこの赤子は五十年の摩訶僧祗の厄難を解くために、燃燈古仏が臨凡したもの。またなぜ燃燈仏というのか?彼はもともと西天(インド)の太子であった,生まれたとき,燈火のような光を放ったために燃燈仏というのだ。因に彼は錠身を燈に置く,燈の字はまた金に従う,因に是を錠身という,後世には錠光仏とされた,今では人はこれをただ「定」の一字に作る。
 偈をもって証す、偈に曰く、

  説即雖萬般,合理還歸一。
  除是身畔燈,方才是慧日。



『西洋記』あいかわらず読みにくいという印象ばかりが強烈に残る…
中身を忘れて、読みにくかった。
神仏が大量に何もかもで出てきた気がするけど、覚えていなくて、読みにくかった。というぐあい。
研究者以外読まないと言われるわけですね。

 前段が特にひどい。
 皇帝が費用で悩んだり、伝国の玉璽が出てきたり、
 航海を始めてからは、もう少しわかりやすかったはずなんですが。


西洋記メモ9

第四回 先削髮欲除煩惱 後留鬚以表丈夫

 金員外夫婦はもとは金童と玉女が下世していたもので、 赤子のほうは燃燈古佛が臨凡したもの。燃燈古佛の由来が語られる。

 淨慈寺の雲寂長老のもとで弟子となった赤子だが、姿は一般と同じであっても、目を開かず、耳は聞こえず、舌はあってもしゃべらず、手足も動かず座禅しているばかり。九年たつ。



 雲寂のところに、自称騰和尚という流れの僧がやってくる。

 子供が初めてしゃべる。
 仏話 仏以一音而演説法 などと。
 禅問答をえんえんくりかえす。

 騰和尚は教えを授けにきてくれたものであった。
 子どもが頭をぶたれた包みの中には、 羚羊の角と練鉄の刀が入っている。
 金剛は仏性をあらわし、羚羊角は煩悩、練鉄は般若智のたとえ。
 仏性は堅いといえど、煩悩これを乱す、煩悩堅いといえど、般若智これを破る。

 雲寂は弟子を出家させることにする。

 話が飛んで、
 飛来峰のもとにある禅寺、霊隠寺は、風魔和尚が秦檜をののしったところである。霊隠寺には碧峰会があり、講義がある。
 ここで講義をしている長老の呼び名をみなが考え、金碧峰長老と呼ぶ事になる。
 碧峰はおよそ二十から三十才。ひげを生やしている。

 金碧峰長老はなぜ頭は丸めたのに鬚はそらなかったのか? 秘密は次回で。








2013年11月14日木曜日

西洋記メモ8

第三回  現化金員外之家 投托古淨慈之寺



 水盆の星をすくって飲んだ妻は倒れる。
「どうしたんだ?」
「昔の人が、杯の影を、蛇を飲んでしまったと恐れたようなものですわ」
「杯の影は偽者だが、星は本物だ」
「本当かしら、偽者を本物だと言っているのではなく?」
「惜しいぐらいピカピカ光った星だったよ」
「わざとその星を惜しがっているんじゃないでしょうね?」
「惺惺(聡明)な者は昔から惺惺(酒から醒める)のを惜しむというじゃないか」
 みなは逆に大笑いして眠りに戻った。

 こんな調子で、西洋記は、日本人では笑えない笑いをねらっているのだろうと思われる箇所が多々ある。

 妻の月のものが遅れたため、夫婦は關爺廟(関帝廟)に占ってもらいに行く。
 おみくじの吉凶がわからないため、 さらに鬼推先生に占ってもらいに行く。

 子供が生まれるが、身は墓に入るという。

 やがて子供が生まれる。夫婦は傷一つなく、目を閉じ手を合わせて死んでいるところを発見される。

 事件となったが、役所のはからいで夫婦は埋葬され、子供は出家させることになる。
 だが、死体は消えてしまう。

 子供は、 頭が長く額が広く眉目秀麗。
 おっぱいをもらって歩こうとしたが、飲もうとせず、仏前の果実だけは食べた。

2013年11月12日火曜日

西洋記メモ7

第二回 補陀山龍王獻寶 湧金門古佛投胎

 觀音菩薩が石鐘、石鼓の由来を説く。

 善地として杭州があげられ、杭州城湧金門外左壁廂の金員外がもとはといえば玉皇のところの金童が下凡したもので善爹とされ、その妻の喻氏がもとは玉皇のところの玉女が下凡したもので善娘とされる。 


 龍王たちから四つの宝がささげられ、老祖(燃燈)はさまざまな者たちの礼を受け、杭州に下りる。鳳凰山、說岳廟の説話がある。


 金員外の家に着く。老祖は流星となって盆の水に降り、妻がそれをすくって飲む。




2013年11月8日金曜日

西洋記メモ6第一回


第一回     盂蘭盆佛爺揭諦 補陀山菩薩會神
 春のありさまから、世界の姿、ありとあらゆるものを羅列していって、儒家とは何か、仏家とは、道家とは、とそのありようを描き出す前段。
 7月15日盂蘭盆会に仏祖が蓮台でみなの拝謁を受け、四部洲の衆生の様子を聞く。
 玄天上帝が下凡したという。理由として、殷の紂王が悪事をなし、ついに六天魔王がつけこんで、悪鬼を率いて下界の衆生を傷つけ苦しめたため、元始天尊が命じて紫微を下凡させ、陽には武王に紂王を討たせ、陰には玄帝に魔を収めさせた。玄帝は髪をふりみだし裸足のまま黒のひたたれに金の鎧をつけ、六大魔王と洞陰之野で戦ってうんぬんという、封神演義のもとになった話のひとつでもあるあの話が語られる。
 南膳部洲はそのときの毒気がまだ清まっていないというのを聞いた仏門のみなは慈悲を起こし、中の燃燈古佛(又の名を定光佛という)が東土の厄難を救うといって下凡を申し出る。摩訶薩、迦摩阿の二人の尊者が付き従う。
 東海に来て、補陀落迦山で惠岸行者に案内させ觀音菩薩に会う。面会していると四海竜王が説法を聞きにやってくる。青い顔の東海龍王敖廣,紅い顔の南海龍王敖欽,白い顔の西海龍王敖順,黒い顔の北海龍王敖潤ということになっている。

2013年11月5日火曜日

狐狸縁全伝メモ6

狐狸縁全伝
青石山故事。
京劇だと『青石山』。

狐狸縁全伝メモ5

狐狸縁全伝何度も訳されていると思っていたのに、実は、訳本が検索に引っかかってこない。平凡社にもなさげ。児童書もあったはずなのに、いったい? 児童書の場合は、名前を変えていた可能性はある。

平妖伝メモ3

『平妖伝』
 平凡社の中国古典文学大系のも四十回本。訳は言葉が古いが、解説はこれが一番しっかりしています。

狐狸縁全伝メモ4

最終的には、呂祖が一番えらいという印象付け?

狐狸縁全伝メモ3

南極壽星老が白鶴童子を呼び出しておつかいに行かせる、白鶴童子はもとは白鶴で、というのがあった。
二郎神、哪吒太子は呼ばれて使われている。

狐狸縁全伝メモ2

『狐狸縁全伝』
 二十二回
 何度も訳されているので、平凡社などで見つかるはず。
 子供版を読んだ記憶がある。たぶん、狐狸縁全伝がもとだったのだと思う。
 たしか、あのシーンがおならをした、になっていた。

狐狸縁全伝メモ1

『狐狸縁全伝』
 最初に入手したとき、イラストの雑さに噴いたのを思い出す。しかし、それが当たり前の水準だったようだ。
 化け狐退治が主眼で、術を使っては失敗する道士は出てくるし、最後は書生と狐美女がくっつくという、なかなかにプリティな作品。

草木春秋演義メモ2

『草木春秋演義』
 イラストも特に草木の精っぽいとかいうことがなくてがっかりした。

草木春秋演義メモ1

『草木春秋演義』
三十二回
 神怪小説ではあるが、日本の黄表紙でいう「◎◎づくし」とでもいえばいいのか。
 草木の名前が付いたキャラクターが合戦する、その中に術を使うシーンもあるというような、たあいもないもの。

2013年11月4日月曜日

西洋記メモ5

『西洋記』

影印本→「中國哲學書電子化計劃」 ->

->

ネットはありがたすぎます。
 

西洋記メモ4

『西洋記』『三宝太鑑西洋記』
 原文、開放文学へのリンク→三宝太鑑西洋記
 他にもあるだろうと思います。

 ネットのおかげで、多少のミスや信憑性を気にせず、おおよその原文を読むだけなら手軽にできるようになりました。
 明の影印本もどこかにあるかな?

西洋記メモ3

『西洋記』
 明、永楽帝の時代。鄭和が勅命により七度西洋に赴き、三十九カ国を征服したということになっている故事を受けて書かれた神怪小説。
 儒教、仏教、道教の話があちこちにちりばめられている。
『西遊記』同様、仏教のほうが道教より強いんだ的な書かれかたのことが多い。
 百回の章回小説なので、冗長な上に羅列が多かったりと、非常に読みにくい。

西洋記メモ2

『西洋記』
 作者、羅懋登。百回本。
 文学的価値は低いが、はしばしに残されている旧いままの説話の断片の価値が高いとされている。

平妖伝メモ2

『平妖伝』
 実は足を向けて寝られない。
 古典翻訳を学ぶに際し、一文づつつきあわせて勉強させていただきました。

平妖伝メモ1

『平妖伝』神怪小説(神魔小説)
 明、万歴間刊といわれる二十回本を 三国志演義で有名な羅貫中が書き(編著)、後に明末の人、三言などで有名な馮夢龍が四十回本『新平妖伝』『三遂平妖伝』に改めたとされる。

 日本語には何度も翻訳されているので、 読みたければ平凡社(古典文学大系36)、ちくま文庫などで。
 おすすめは価格も手ごろなちくま文庫の佐藤春夫訳だが、今は絶版。そして、途中からは佐藤春夫ではなくなっていたと思う。尻すぼみ感が否めなかった。

  二十回と四十回で、はっきり手の違いがわかる。

 二十回はわりとかっちりしていて、四十回全体だと華やかさ面白さ整合性がUPしています。
 冗長な部分を減らして、整合性をつけ、娯楽度をあげたといえばいいのかな。


西洋記メモ1

『西洋記』 『三宝太鑑西洋記』
「せいようき」と読みます。
太鑑というのは、宦官のこと。
三宝太鑑というのは、明の鄭和のことです。

明代に成立した神怪小説(神魔小説)
知名度は『西遊記』『封神演義』>『平妖伝』、その次ぐらいにあたる。
しかし、完成度は『西遊記』>>『平妖伝』(評価位置は微妙)>『封神演義』>>>>>『西洋記』>>>>>>>>以下略
ぐらい。
小説としては破綻しています。

はじめに

 適当な方法も思いつかなかったので、神怪小説についてのこまぎれのメモを適当に書いて残しておくブログを作成しておくことにしました。
 Twitterだとちょっと 短いけれど、ブログにするほどのことでもない、ただのメモです。
 自分のためのものなので、意味不明ならすみません。

 いずれ、きちんとまとめるかもしれませんし、そこまでできないかもしれません。