2020年10月16日金曜日

江戸時代と『封神演義』、九尾の狐譚

 ■北斎が雲中子や雷震、照魔鏡を描いていた

 
『封神演義』まわりの研究も、少しずつ進んでいて、江戸時代の「武王軍談」「三国妖婦伝」「三国殺生石」といった作品群のことなどが話題に上っていたので、メモしておく。
『封神演義』が『春秋列国志伝』巻一と『武王伐紂平話』を下敷きにしていることは知られているが、さらにそこに江戸時代の関連作品もくっつけてみる。
 
 大英博物館に新たに収蔵された葛飾北斎の「万物絵本大全図」(1829)の中の一枚に、
 
雲仲子 / 照魔鏡ニテ妊狐ノ象ヲ見現ス / 雷震
 
という文字があって、仙人と大槌を持った若者が九尾の狐が映った四角い(縦長)の鏡をのぞいている絵がある。→画像へのリンク
https://www.britishmuseum.org/collection/object/A_2020-3015-17  
高さ: 11.20 センチ、幅: 15.30 センチ というから、それほど大きな作品ではなさそうだ。
 
 江戸時代、滝沢馬琴(曲亭馬琴) は『封神演義』を入手していた。
 馬琴は、自分の作品に『封神演義』からも趣向を取り入れていた。
 馬琴は、『通俗武王軍談』を『封神演義』の訳だと勘違いしていた可能性があるという。
 

三宅 宏幸「曲亭馬琴『殺生石後日怪談』の生成 : 〈殷周革命説話〉の構想を軸に」

などを参照。
 
  江戸時代、『封神演義』自体は翻訳されることがなかった。
 だが、人々は紂王や妲己、太公望のことを知っていた。
「武王軍談」や「三国妖婦伝(三国妖狐伝)」といった話が知られていたからだ。
 むしろ、妲己(九尾の狐)は、玉藻前の前身として知られていたのかもしれない。
 
 私が気になったのは、「照魔鏡」である。
(あと、「雷震子」ではなく「雷震」になっている点も区別に有効だろう)
 
 雲中子が童子に命じるなどして照魔鏡で妲己の正体が九尾の狐(妖狐)であることを見ぬく、というシーンは、『封神演義』にはない。
『武王伐紂平話』にもない。
『春秋列国志伝』巻一にはある。
 他、江戸時代に刊行された、 「武王軍談」「三国妖婦伝」「三国殺生石」といった作品には、たいがい登場する。
「武王軍談」は、ほぼ『春秋列国志伝』巻一と一緒である。
 これが日本での、妲己(九尾の狐)が紂王をたぶらかし、武王が太公望を迎えて紂王を倒して周を建国するという物語の基本になったようだ。雷震子ならぬ「雷震」が登場し、哪吒や楊戩などは出てこない。
 さらに「三国」とつくのは、九尾の狐が唐から天竺に渡り、さらに日本に来たという三つの国の物語をまとめて、最後は玉藻の前になったというスケールを持っているからである。
 この三国にしたところは日本独自の発展だろう。
 中国では、神仙が戦う物語『封神演義』になり、日本では三国を股に掛け、九尾の狐は大忙しだ。
 
 
 別の点として、 北斎が描いた照魔鏡が、四角いことが気になった。
 そこで、各種の本に出てくる照魔鏡を集めて比較してみることにした。

 確認できた資料のおよその年代(見ているものが少なく、間違っている可能性もある)
 
『通俗武王軍談』(通俗列國志) 寶永2年刊(1705)のものもあるようだが、正確には不明。内容を確認したのは、明治20年に刊行された国会図書館蔵のもの。
『絵本武王軍談』(画本武王軍談)曲亭馬琴作・北尾重政画 寛政13年序刊(1801)
『絵本三国妖婦伝』 高井蘭山作 蹄斎 北馬画(1804)
『画本玉藻前』絵本玉藻譚)法橋玉山画(文化二刊(1805)
『三国妖狐殺生石』 五柳亭 徳升作 歌川 国安画(1830)
『本朝武王軍談』 十返舎一九(1833)

他に、照魔鏡が出てくる作品として、『絵本西遊記』(『絵本西遊全伝』)もあるので、参考にする。
 

『絵本西遊記』の照魔鏡

 
絵本西遊記』は、文政11(1828)刊のものが、早稲田大学図書館で公開(無断転載禁止)されていた。
 かなり傷んでいて、書き込みなどもある。
 照魔鏡は丸型。
 哪叱とされている哪吒が大人で、髭が生えていることや、顕聖真君と表記されている二郎神の形象も見ておきたい。哮天犬(吼天犬、細犬)は画面左ページの右下に、白い犬として描かれている。 
 他にも、関西大学図書館 中村幸彦文庫などにも所蔵されており、画像が公開(無断転載禁止)されている。
 いずれも、哮天犬は白い。
  おそらくこれを改編再録したのが
 国会図書館蔵の『絵本西遊記全伝』(口木山人 訳 東京金玉出版社 明16.9)
 
 
 およその構図やモチーフはほぼ一緒だが、哮天犬の位置が右ページ左下になり、犬の色も変わっている(白くない)。
 照魔鏡は丸型。 
 
 もし、絵の描かれた当時、『封神演義』が知られていたら、さすがに哪吒を大人にする事はなかっただろうと思われる。 二郎神も、髭もじゃにはされにくかったのではないだろうか。
 

 ■「三国妖狐伝」系物語の照魔鏡

 
 続いて、「武王軍談」「三国妖婦伝」「三国殺生石」といった作品群で、照魔鏡がどう描かれてきたかを見てみる。
 太公望が雲中子から照魔鏡を授けられるくだりもあるが、まず、最初に雲中子が照魔鏡で妲己の正体を見ぬくところを比較する。
 
 『絵本武王軍談』(画本武王軍談)曲亭馬琴作・北尾重政画 寛政13年序刊(1801)
国文学研究資料館蔵) CC BY-SA 4.0にて公開
 照魔鏡は見られない。 (文字では書かれている)
 
 
 
 『絵本三国妖婦伝』高井 蘭山作 蹄斎北馬画  文化元刊(1804)
 (国文学研究資料館蔵) CC BY-SA 4.0にて公開
 照魔鏡は丸型。
 

『絵本玉藻譚』えほんたまもものがたり  法橋玉山画(文化2刊(1805)
 (国文学研究資料館蔵) CC BY-SA 4.0にて公開 
 照魔鏡は丸型。
 

『三国妖狐殺生石』(国会図書館蔵)五柳亭徳升作 歌川国安画 文政13(1830)刊
 照魔鏡は丸型。
 

 
 『本朝武王軍談』 十返舎一九作 一勇斎国芳(歌川国芳)画(1833)(国会図書館蔵)
  照魔鏡は丸型。
 

 
 

 ■太公(太公望)の使う照魔鏡

 
 つづいて、 最後に妲己の処刑をするときに、正体を見ぬくために太公(太公望)が照魔鏡を使うところを比較してみる。
 このエピソードは『封神演義』および『武王伐紂平話』にはなく、『春秋列国志伝』巻一にはある。『武王軍談』にはある。 
 もともとは、「妲己を斬るように命じたが、処刑する者たちが美貌を見て殺すに忍びなくなり処刑できなかったため、太公が左右に命じて照魔宝鏡を掛けさせて照らすと九尾金毛の狐が映った」という内容である。これは、『春秋列国志伝』巻一と、『武王軍談』に共通する。
  
 確認できた資料の中には、処刑の時に妲己を照らして正体を見るエピソードが省かれていることもあった。また、太公望が雲中子から照魔鏡を授けられるシーンがあることもあった。
 
 『絵本武王軍談』(画本武王軍談)曲亭馬琴作・北尾重政画 寛政13年序刊(1801)
国文学研究資料館蔵) CC BY-SA 4.0にて公開
 照魔鏡で妲己を照らすエピソードは見られない。
 

 
『絵本三国妖婦伝』高井 蘭山作 蹄斎北馬画  文化元刊(1804)
 (国文学研究資料館蔵) CC BY-SA 4.0にて公開
 雲中子からもらった照魔鏡で妲己を照らすというエピソードが近くのページに書かれている。左にいる太公の左に九尾の狐の映った照魔鏡がある。照魔鏡は丸型。
 

 
『絵本玉藻譚』えほんたまもものがたり  法橋玉山画(文化2刊(1805)
 (国文学研究資料館蔵) CC BY-SA 4.0にて公開 
 照魔鏡のエピソードは省かれている。
 妲己のしかばねから白煙が立ちのぼり、その中に九尾金毛の妖狐があり、西に向かったことになっている。
 

 
『三国妖狐殺生石』(国会図書館蔵)五柳亭徳升作 歌川国安画 文政13(1830)刊
「せうまきやうをとりいだし…すがたをうつしみせしむる」と、「きうびはくめんのきつねとへんじ」とあり、照魔鏡で九尾白面の狐を映し出したというエピソードは書かれているが、絵の方には、照魔鏡は見られない。
 

  この先は明治時代のものがいろいろ残されているが、今回は江戸時代の受容についてなので、ここまで。
 
 今のところ、葛飾北斎の「万物絵本大全図」にあるような四角い照魔鏡は見つけられていない。雲中子と雷震が一緒に照魔鏡を見るというエピソードもない。おそらく、北斎の独創なのだろう。
 絵の中で照魔鏡に映っているのは、宮中とおぼしい場所に立っている狐の姿なので、妲己が宮中に入った後、雲中子が照魔鏡で妲己の正体が九尾の狐(妖狐)であることを見ぬくというエピソードを題材にしたのだろう。