2021年8月12日木曜日

続西遊記メモ1

 ■続西遊記

『西遊記』には、別の作者が書いた関連小説がいくつか残されている。

 主に、『続西遊記』、『後西遊記』、『西遊補』 などだ。

 このうち、『後西遊記』、『西遊補』は、翻訳、紹介された本があるので、『続西遊記』について翻訳がないか調べてみたところ、今のところないようだ。

『続西遊記』は、江戸時代には日本に入ってきていた。 

 清の嘉慶十年(1805)の本が残されている。

■馬琴などが酷評

 滝沢馬琴が批評を残しているが、一読すると、酷評そのものである。

 馬琴の「続西遊記国字評」が「早稲田大学図書館古典籍総合データベース」で公開されている。

 馬琴によれば、清代の作で、作者はおそらく、評点と序に名前のある真復居士だろうとしている。(馬琴は、表題にある貞復居士ではなく、落款にある真復居士が正しいだろうとしている)

 理念と内容が一致していないだとか、ダブルスタンダードだとか、 『西遊記』で成果を得て仏になったのに、また悟っていないのと同じことをしているのは、『西遊記』の意図を理解していないだとか、蛇足だとか、女装が悪趣味だ、などなど。

 ただし、同じ文章の中で、『西洋記』にも、わずかに触れており、それよりはずっと高評価。

 また、依田学海が、『四大奇書・上』(博文館、1896-1909)の「西遊記考」の中で触れており、これも酷評。文意極めて鬱嗇して、その筋透らず。一巻を読みてもはや眠気をも催すべきもの、だとか、前記作者の意に背戻するを甚し、といったような書かれ方をしている。

 また、前編に続けて書かれるものであれば 、前編の遺漏を補うか、趣を易えるべきなのに、『続西遊記』には、それができていないという。一方、『後西遊記』は、文学としても高い評価を得ている。

『後西遊記』は、木村黙老からも高評価を得ていて、『続西遊記』『水滸後伝』『西洋記』等の上に出るとされている。黙老の「後西遊記国字評」は「早稲田大学図書館古典籍総合データベース」で公開されている。 

 前後して、久保天隨 述『支那文學史. 下』(早稲田大學出版部、18ーー)[早稻田大學四十三年度文學科講義録]の中でも、『後西遊記』は高評価を得ているが、『続西遊記』は「命意すでに拙、文辞極めて鬱嗇、まことに狗尾なり」と、学者間で、低評価であることに定評ができてしまっていたようだ。

■実は馬琴の評は酷評ではない

 ところが、馬琴の国字評は、一見酷評に思えるのだが、『続西遊記』曲亭馬琴「西遊記抄録」 解題と翻刻(上) によれば、実は、馬琴としては結構、好意的な評価だったようだ。

  西遊記のような重複がなく、淫奔なことを書いていない。後半五十回以降が、尤おもしろく思えたといった評価になっている。

 馬琴は、『続西遊記』を、「機心が動く→妖魔登場→機心が消えると妖魔も消える」という流れの反復として考えていて、心の放縦が妖魔を引き寄せるという『西遊記』では隠されていたテーマをはっきりさせた功績があると言っている。

 低評価だから読む価値がないと断じてしまわず、辛辣な批評で有名であったらしい馬琴が見るところがあると思った作品であるし、そろそろ評価が見直されてもいいのではないだろうか?

 ■概要

 三蔵法師一行が、天竺でお経をもらった後、またしてもさまざまな妖怪に邪魔されながら帰国する話。

 ただし、悟空は如意棒を、八戒はまぐわを、沙悟浄は宝杖を取り上げられて禅杖を渡され、殺生せずにお経を護送するように言われる。また、四人を見守るようにと、比丘僧の到彼と優婆塞(在家信者)の霊虚子が付けられる。

「如意棒はない。
 悟空、妖怪どうする!?」

 というところ。武器がないために、苦戦を強いられ、助けを求めに行ったり、お経の力を使ったり、到彼僧や霊虚子によって助けられたり、やはり武器を取りもどしたいと何度も盗みに入ったり、女装したり、あれやこれやで妖怪を退けながら、東をめざす。

■機変・機心

 帰り道でも妖怪が出てくるのは、悟空に機変の心が残っているから妖怪を引き寄せるのだとされ、八十八種の機心というのは、姦盜邪淫などなどと説明される。

機心」は、荘子・外編に典故を取っており、「機会があるから何かしでかす、何かしでかすのは機心があるから」というような解釈になると思われる。

 つまり、騙そうとする心、利益を得ようとする心、何かしでかそうとする心が、妖怪を引き寄せるから、それを克服しながら旅を続けるという事になる。


2021年8月11日水曜日

混元盒五毒全伝メモ

『 混元盒五毒全伝』または、「張天子収妖伝」。清代の版本しか残っていないが、おそらく成立は明代。

 版本、成立と発展等については、山下一夫「混元盒物語の成立と展開」参照。

『 混元盒五毒全伝』富経堂本と、後代の小説「聚仙亭」、燕影劇「混元盒」などを読むことができた。

 後代の小説「聚仙亭」(『聚仙亭全伝』)は、『 混元盒五毒全伝』富経堂本二十回を十回にまとめただけかと思っていたら、そうではなく、細かい部分が、だいぶ省略されたり、合理化されたりしていた。

 混元盒(こんげんごう)は、中に妖怪を封じ込めることができるふた付きの宝器。ただし、小説中には、混元盒の形や色に関しての記述はない。

 一部の風習として、端午の節句に、五種類の毒のある生き物を描いた五毒図を描いて壁に貼ったりすることがあるというが、「 混元盒五毒全伝」は、その由来譚となっている。

 五毒については、五種類とされてはいるが、何であるかは確定されていないようで、作中でも、ヒキガエル、サソリ、毒蛇、ムカデ、蜘蛛、ヤモリの六種類が 混元盒に収められている。

 燕影劇「混元盒」は、すでに「封神演義」の影響を受けており、冒頭から金花娘娘が「截教」だと名のっている。