2014年4月8日火曜日

西洋記20

第十一回 白城隍執掌溧水 張天師怒髮碧峰

 溧水縣城隍神に姓があるかないかという話になる。
 城隍菩薩は、漢の高祖から死んでも忠義を尽くすようにと天下すべての城隍に勅封された、どう天下が広がろうとひとつの天下、すべての城隍のほかに城隍はない、だから城隍にはみな自分と同じ姓があるという。
 もう一方の神は、溧水縣の城隍神の名前の由来を長く語る。

 八洞の神仙が西池王母の大宴に赴いたとき、七人はすぐに行ったが、呂純陽独りは雲に乗っていく間に歌声を耳にして南朝城の百花巷の花園で少女を見かける。
 歌につられて呂純陽は花園に降り、少女のもとに通うようになった。
 少女は白牡丹。七月初日、母と訪れた長乾寺の法師が邪気があると見咎め、対処法を教えてくれる。
 呂純陽の行いは採陰補陽のためであったのだが、白牡丹が左脇の下を押したため、丹田の宝を失うこととなってしまった。呂純陽は怒って飛剣で白牡丹に切りかかり、白牡丹は長乾寺の法師に助けを求める。
 長乾寺の法師は黄龍禅師で、飛剣をひと指しして地面に落とした。雄剣がもどらないので、雌剣を飛ばしたが、やはり指でひと指しされて右の壁にささってしまう。
 黄龍真人は、雲に乗って逃げる呂洞賓をつかまえ、二度と色欲に目をくらまさないと誓わされる。
 飛剣を返してくれと懇願すると、返したらまた人を傷つけようとするのではないかと、雄剣は山門にとどめて護法とし、雌剣だけを返すといわれる。そして、左右の腰に二本さしていた剣を、これからは背中に一本背負い、もし人を傷つけようとしたら剣はまず、項の上をすべるが、妖怪を斬るのであればいうことをきく、とされる。
 このときから、呂洞賓は剣を背負うようになった。
 また、丹田の宝を失い、西池王母の蟠桃大会に赴くことができなくなったのをどうしたらいいかご教示をと頼むと、龍江関で船を呼び、水路を百二十里進んで儀真県に行き、さらに船で七十里行って揚州府に、さらに船で百二十里行き高郵州に行く。高郵で陽の気を養えば、九年で功が成り、再び玉京にもどれるであろうと言われる。
 呂洞賓は礼を言ってむかった。そこが今に伝わる高郵州の洞賓養陽観の古跡である。

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