神怪メモメモ
神怪小説(神魔小説)についての個人的メモ。ネタバレ注意。ネタバレについては一切考慮しませんので悪しからず。
2025年5月8日木曜日
2025年5月6日火曜日
続西遊記 試訳メモ 1 第一回 霊虚子、投師して法を学び 到彼僧、接引して真に帰す
第一回 霊虚子、投師して法を学び 到彼僧、接引して真に帰す
円輪は輪の如く歳月流れ 個中の名利は浮漚《あわ》に等し
呉越分け較ぶは無駄な事 馬牛《ばかもの》と呼ぶばかりなり
世事にはすべて道理あり 人の謀み天の休《さいわい》に似る
長生きの秘訣知りたくば 西遊続記を読みなされ
西遊続記が書かれた訳は 人に一点の真《まこと》指《しめ》すため
人が去るのは天地の定め 去っていかぬは仏仙身
機心を滅して諸魔を伏し 霊覚開けば道力深まる
ご覧あれ悟空こと孫行者 降妖変化の新たな様を
話によれば西方には仏があり、如来と号している。苦行を重ねて大慈悲を具《そな》えたため、血気あるものはあまねく照らされる。まさにこれ釈迦牟尼尊者である、南無阿弥陀仏。天地開闢から周が成り秦漢から唐代に至るまでその感応は尽きるところがなく、霊通は讃えきれない。
ある日、霊山雷音宝刹の大雄宝殿で九品の蓮台の法座に登り無上甚深微妙法《むじょうじんじんみみょうほう》を説けば、とりまく諸仏、菩薩、阿修羅などの多くの者はそれぞれに意味を悟って喜びに沸いた。如来が説法を終えると天花が繽紛《ひんぷん》と舞い、妙なる香りがゆらゆらと立ちのぼり、無極無量の世界に充ち満ちた。如来は智慧の力で大毫光を放ち三千大千閻浮衆生をあまねく照らした。
無始より今日に至るまで種々の愆尤《あやまち》が造られ種々の果報《しあわせ》が受けられてきた。まさに仏面は満月の如く輝き、仏心は慈しまぬところなし。そして哀憫の心で衆仏菩薩に説く。
「すべての天と三界を観れば、哀れにも衆生は本来を失い、善を信じても孽𡨚《わざわい》からのがれられません。悪しき輪廻に沈み苦海に堕落するのは見るにしのびません。そこで三蔵真経を著しました。一蔵は天を談じ、一蔵は地を説き、一蔵は幽冥に及びます。この真経三蔵は人天の利益《りやく》となるばかりでなく、鬼道をも救えます。この修真の経路、成道の玄詮で善士となって天に登り、地獄の亡魂を脱することができます。
四大部洲を見ると、南贍部洲は人が多く善悪が混沌としていて、聖人が賢く治めて政教が明らかにされていても、愚かで心根の悪い者がほしいままにふるまっています。この真経であれば罪災いを消し、福を降ろし生を延ばすことができるでしょう。東土に送ろうと思いましたが、人々が信じようとせず真文を毁謗《そこ》なってしまうのを恐れています。以前、すでに観自在菩薩に頼んでここに来る取経の僧たちを度化させました。この僧は前世では名を金蝉長老と言い、傲慢にも大教を軽んじたために真霊を貶《おとし》め人道に生まれて、今は幸いにも昔の因縁を悟り、南国で剃髪して出家し、名を玄奘と言います。道僧はこの功を行う生まれとなっており、千山万水であろうとも恐れずに、三途八難を過ごし尽くしました。
従う幾人かの門下もすべてこの経に縁があって天の星が下った者、取経に十分でしょう。東土に持ち帰ったら永く勧善の珍、修真の宝とすべきです。とはいえこの僧は八十一難の艱難を受け、数え切れないほどの魔孽を受けます。孫悟空の霊通、猪八戒の力量があろうとも、菩薩護持神聖の助けがなければ妖怪たちを滅して唐僧をここまで来させるのは難しかったでしょう。さらにひとつ気になるのがこの経を取って去るときです。復路にも不浄の根因があり、魔孽が道をはばむでしょう。師徒の力量は軽微です。どうしたものでしょう。
菩薩聖衆は声をそろえて答えて言う。
「我らはこの僧が来たる時に凡体を錬磨して成真したことを知っております。誠実な心で自らを信じて身を保って去るのに、なお不浄の根因があるとは。如来のお考えの成就を願いますが、いったい不浄の根因はどんな意味を持ちいかなる冤撃《わざわい》を成すのでしょう」
如来が言う。
「諸孽は心が生みだします。心が浄《きよ》らかであれば魔は滅し、心が種を生み魔が生じます。この僧たちがどんな考えを持ちどんな心で来るのかを確かめるばかりです」
如来は説き終えると、阿難と迦葉に命じて宝経閣にある三蔵の真経を調べて準備し、取経の僧が来るのを待つように命じた。阿難が如来の意を受けて宝経閣に去ったことは置く。
さて霊山の仏会に一人の在家修行道者があった。これを仏門では優婆塞と呼ぶ。剃髪して出家した者は比丘僧と呼ぶ。天竺国の境内にいた一人の優婆塞道者は法号を霊虚子と言った。この道者は三度目の生まれかわりで、もともとは久しく修禅した貴人であったが、誤って猟師の家に生まれたために血腥い汚れに惹かれ、再び道真の家に生まれて傍門の脇道にそれ、三度目にこの霊山のふもとで善男子に生まれたのだが、いささか正念に不足があり、仏門に帰依し香を焚き経を読み僧に斎を出し日々布施をして剃髪した僧のような心を持っていながら、これまでの因縁が未だ浄らかになっていないためなおも変幻処術を好むのであった。
ある日、村の広場に座っていると、にぎやかな市場で法術使いが仕事をはじめるところであった。蓮の花をみるみるうちに咲かせたり、鳥を飛び舞わせたり、三頭六臂の巨人に変じたり、美女に化けて百媚千嬌をふりまいたり、見物人が金銭を出せば何でも好きなものに変じて楽しませるという。霊虚子はこれを見ると喜びに堪えず金銭を出して術者にたずねた。
「変化の術を使うようだが、蒼龍に変じることはできるか?」
術者は金銭を受けとると、さっとひと飛び、たちまち五色の雲が空に湧きあがり一条の蒼龍が雲の中に見えた。
彩色の雲が漢《そら》を飛び 蒼龍碧空に現れる
口から噴くは甘露の雨 五つの爪で霓虹《にじ》に駕す
術者は蒼龍に変化して空中をひとまわりすると、また元のように下りてきた。人々はすばらしいと喝采する。霊虚子はすぐに金銭を出して術者に猛虎に変身できるかたずねた。術者は金銭を受けとると身をひとゆすりして、たちまち一匹の猛虎に変じて市場で咆哮をあげた。これを見て人々は驚愕する。霊虚子は人々に言う。
「驚くことはない。ただの変化術で、人を傷つけることはない」
その虎を見れば、
白い額に斑爛《あざやか》な体 長い鬚に赤い晴《ひとみ》熖《も》え
一声大きく嘯《うそぶ》く處 山岳は盡皆《すっかり》傾く
人々の中の肝が据わった者は立ったまま変化のすばらしさを言い、恐れて遠くに逃げる者、身をよけても声にあわてる者もあった。
すぐに元にもどると、霊虚子がまたも金銭を出して別のものに変じさせようとしたが、人々は先を争って霊虚子に、
「たくさん使って、もう十分楽しんだだろう。わしらだって金銭を持っている。わしにも術を確かめさせてくれ」
霊虚子は競い合う人々に言う。
「皆さんがたのお楽しみを取りはしませんよ」
人々は金銭を出し、たぐいまれな美少年に変化してもらってはどうだと言っていたが、中の一人が金銭を取り出して術者に言う。
「猛虎になって人を嚇《おど》かし、蒼龍になって目をくらませてくれたが、なまめかしい美女に変じて歌い舞って見せてわしらを楽しませてくれるほうがさらにいい」
術者は金銭を受けとると身をひとゆらしして変化し、その場にたちまち琵琶を抱えた一人の女が現れ、なまめかしく美しく歌を歌い、弦を弾いた。人々は喝采する。その女はと言えば、
蛾眉に翠《みどり》の黛《まゆずみ》をつけ 口上手が朱の唇を啓く
玉指で絲索《きぬのいと》を揮い 金蓮《かわいいあし》が地の塵を蹯《ふ》む
嬝娜《しなやか》なこと類がなく 香風がさらに人に逼《せま》る
巫山(の女神)に麗質を誇り 洛水に全真《せんにょ》を得る
霊虚子は見るなり目を閉じ顔を背けて自問する。
「世の人は我がちに金銭を出してこの美貌の佳人に変じさせ、目を動かそうともしないで見つめて私のことなど気にしない。在家信者が邪なものを見るのはいかがなものか。市の人々は霊虚子が顔を背けて目を閉じているのを見て、斎を求める念仏道者だと言う者あり、小賢しくふるまってはいるが心の中はどうなのだと笑う者あり。女は歌をひとつ歌い終えると琵琶を捨て一舞いして、また元の術者にもどってその場に立っていた。
夕方になると術者は仕事をやめて身を起こし、人々は立ち去った。霊虚子は進み出て声をかけた。
「お師匠様、どうか寒舍《わがや》でお食事をとり、何かご教示下さい」
術人は、霊虚子が落ちついていて言葉おだやかであったので、喜んで家について行った。客間に通されると、霊虚子は茶を出させ、斎を用意させる一方で、頭を下げて拝んで言う。
「お師匠様はどちらの方でお名前は何とおっしゃるのですが? あのすばらしい神術はどなたに授けられたのでしょう?」
術者はこれを聞くと、こう答えた。
「小子《わたし》は南方の者で姓を万、名は二文字で化因と申し、あちこちをさまよって道を訪ね師匠を求めているうちに、異人《せんにん》にめぐりあってこの幻化の法術を授けられ、金銭を得ております。小子は日々の糧の他はごく質素にすませて橋や道の補修で陰徳を積んで俗世を出ようとしております。我が師匠がかつて西方に聖人がいて教えを授けて下さっていると言っていらしたので、ここまで進んでまいりました。おたずねします、善人のお名前は?」
霊虚子は答えて言う。
「小子は霊虚子と申して仏門に入り香を焚き経を唱えてはおりますが、まだ剃髪はしておりません。お師匠様の法術のすばらしさを見るに真を修め道にかなった神通力に思えます。もしご伝授いただけるなら家財をなげうって門下の一徒弟となり、お師匠様を見習って変化の法術の十分の一でも得られれば、終身忘れはいたしません」
万化因は聞いて答える。
「小子の法術はささやかなものであっても道にかなったもの。善人様が学びたいとおっしゃられても軽々しくは伝えられません。修煉し虚に還り虚に繇《したが》い、無に入らなければ示すことができません。そういう訳で、そこに至った者だけが学び得るのです。」
霊虚子は聞くと、ただ叩頭し、家に留まって教えてくれるよう願った。そして建物の一室を清めて師匠を招き、黄金や白璧を贈り物として留まってもらった。万化因は霊虚子の家に住み、朝夕法術の講義をした。
時のたつのは早く、覚えず三年が過ぎた。霊虚子は聡明で変化術だけを志したので、十のうちの九までを会得した。
ある日、万化因は霊虚子の学術がすでに成ったのを見て、別れを告げて行こうとした。霊虚子は留めておくこともできず、謝礼金を準備して百里の遠くまで見送ると、はるか遠くの人気のないところに荒れた亭《あずまや》があった。霊虚子が手でひと指しすると、空っぽの亭の中に酒席が現れた。万化因は見て笑って言う。
「徒弟は師匠に技を見せびらかすつもりかね。まあ、そうだとしても敬意からだろう。好意として送別の杯を受けようではないか」
霊虚子は跪き一盃の酒を捧げた。万化因は飲み終えると一盃を返し、袖をひとふりすると、亭の傍らに盤が現れた。盤には霊虚子がこれまで師匠に謝礼として贈ってきたものすべてが封も切らずに乗っていた。万化因が笑って霊虚子に言う。
「この盤の中のものはみな徒弟が送ってくれたものだ。わしの法術はすでに伝授する者を見つけた。長いこと世話になった。おまえの家産を費やすべきではない。わしが去ったら貧しい者たちを助けなさい。いらないことだったのだ。おまえにはただ敬ってもらえれば良かった。道法はこのようなわずかな金で受けられるものではない。おまえの金を受けとれば法を売ることになってしまう。持って行きなさい」
霊虚子がようやく「お持ち下さい」と口を開きかけた時には、万化因は振りかえりもせず飛ぶように去っていた。霊虚子は金銀を持ち帰るしかなかった。家に帰ると終日法術を演習し、霊山の仏会に顔を出そうとしなかった。
優婆塞たちは霊虚子が会になかなか出てこないので話し合いをし、ある者は彼が怠けて道心を失い講義のことを忘れていると言い、ある者は彼が以前の修行を忘れて罪業に陥ったのだと言った。するとある比丘僧が言った。
「小僧は霊虚子が閉じこもって三年傍門幻術の者に師事して邪法を演習していると聞いた。かわいそうに道を誤って迷っているのだ。どうすれば正しい道に戻せるだろう」
優婆塞たちはこれを聞くと声をそろえて言う。
「そう言われれば聞いたことがあるがはっきりしない。もしそうであるなら比丘の誰かが慈悲心を発して彼をこの会に連れもどすのがいいだろう」
比丘僧の中に法号を到彼という者がいて、進み出て説いて言う。
「小僧が如来に申し上げて彼を説得してもらいましょう」
優婆塞たちは言う。
「正しいことをするのに仏に願ってお煩わせすることもない。我ら比丘が速やかに向かって導くべきだ。遅れてはならない」
到彼僧はこれを聞くと、すぐに身を起こして霊虚子の家に向かった。門前にいた家僮《めしつかい》が見つけて霊虚子に知らせると、霊虚子は神通を使って老下僕に変化して門を出て到彼僧を見てみれば、
髪を剃って煩悩を降し 艾《か》った鬚は俗塵に遠く
緇衣《くろいころも》を偏袒《かたにかけ》て着る 仏会の有縁の人
老下僕は見るとすぐに口を開いて説く。
「長老様、わしの主人は外に遊びに出ておりました、長らく帰っておりません。どうぞすぐお戻りになり、日をお改め下さい」
到彼僧はすでにこれが霊虚子が変じた者だと気づいており、笑って言う。
霊虚自身が戻れとは なぜまた蒼頭《じいや》に変化した
姿変えても声変えず 話し方まで前のまま
霊虚子は僧の言葉で見破られたと知り、門を入って一人の子どもに変化して門を出て言う。
「老先生は誰を訪ねたんですか? ご主人様は友達に会いに行っていて家にいませんよ」
比丘僧はこれを見て大笑いして言う。
年寄り蒼頭《じいや》が行ったと思えば たちまち顔が童顔になる
丹田を変えず保ちつつ どうすれば顔を変えられる?
霊虚子は二度も僧人に言い破られて、あわてて答える。
「ご主人様は外出していて、奥様なら行方をご存知かも。老先生、しばらく立ったままお待ちください、お知らせしてきます」
子どもは門内に歩いていき、あわただしく優婆夷の老婦人に変化した。中門の簾の中から説いて言う。
「老先生はおそらく霊山の会からいらしたのでしょう。夫の優婆塞道者は三年あまりも外遊していて、今日の早朝に帰ったのですが、また村に行ってしまいました。どうぞ客間にお入りになって、しばらく座ってお休みになってお待ちください」
到彼僧は聞くと、笑って言った。
本来の霊虚の顔かたち 今度は女に変化した
黄婆《ひぞう》の配合変わらない 我僧を弄すもほどほどに
霊虚子は僧人を騙せなかったと気づくと、またも大笑いして片手で僧衣を引いて言う。
「師兄の智光に弟子の幻術はすっかり見破られました。お出迎えせず失礼致しました。どうぞ客間でおかけになって再び久闊を叙しましょう」
到彼僧は客間に導かれ、二人は礼をかわしあった。到彼僧が問う。
「師兄はなぜ長い間、会にいらっしゃらないのですか?」
霊虚子が答えて言う。
「長らく遠くに出かけておりまして、仏会におもむいて御仏を仰がなかった罪が大きすぎまして」
到彼僧が笑って言う。
「僧が見たところ師兄の道法はすばらしい正果を得ております。耳に聞こえるものは虚でなく、目に見えるものすべてが実。思うに師兄は正しい智慧により、朝夕修行を重ねられた。悟りを知りながら、なぜ脇道に堕落して邪な幻術など使うのです。あなたはさまざまなものに変化できるとおっしゃいますが、愚かで惑わされやすい凡俗の智恵ではものごとをはっきり知ることはできません。清く透き通った慧光を持つお方です」
霊虚子が笑って言う。
「師兄がおっしゃったではありませんか。小弟が真で、蒼頭や子どもは假《にせ》だと、どうやって見破られたのですか?」
到彼僧が言う。
「師兄はかねてから禅門にいらっしゃいますが、真実には理があって虚ではなく、若し人が悟りを得ることができれば天地にも鬼神にも気づかれずに物事を成すことができるということを、なぜご存知ないのですか? もし師兄の変化が人の心によるもので幻で詐ろうとするのであったなら、人に知られるのはわかっているはず。逆に自分を騙すことはできても人から騙されることはないとおわかりのはず。小僧は真の処から真を尋ねます。師兄の假の処から假が露れたにすぎません。これは小僧の考えですが、師兄はこれまでの假を洗い清めて今日の日の真にお帰りになって正しい道を歩み邪魔や外道をお捨て去り下さい」
霊虚子は答えて言う。
「師兄がおいでにならなければ、小道はただこの変化のすばらしさで誰にも知られずに世の人を瞞し続けていたでしょう。師兄に見破られて、これが習っても無益なものだと自覚致しました。どうか假を捨て真に帰り、霊山の仏会に赴き、以前の行いを悔い改めて罪孽を消させて下さい」
到彼僧が答えて言う。
「悔い改めて自ら罪孽を消すつもりなら速やかに反省するといいでしょう。師兄は家で静かに凡念を洗い清めるべきです。如来が龍華会を終えてお帰りになり大乗の講義を開講すれば、再び以前の会の続きが始まります」
霊虚子はただただ言われたことを聞き、到彼僧は別れを告げて門を出た。さて、これからどうなりますか、次回をお聞き下さい。
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付記
試しに訳してみた『続西遊記』ですが、想像以上に難解なところがあり、なかなか厳しいです。
何と言っても『西遊記』の続編ということで、三蔵法師、悟空、八戒といった面々が、ほぼそのままのキャラクターとして登場、ただし、如意棒やまぐわを取り上げられて、霊虚子と到彼という二人が新たに追加され、取経の帰り道でたくさんの妖怪と渡り合っていく、なかなか楽しい作品なのですが、残念ながら日本ではほぼ知られていません。
成立は 明代で作者不明、真復居士の評がつけられており、滝沢馬琴が読んで、『続西遊記国字評』を残しています。
翻訳の底本には古本小説集成収載の嘉慶十年(1805)刊行の金鑑堂刊本を用いています。こなれていない試訳ですが、2025年のGWの記録としてとりあえずあげておきます。
読みにくいので、縦読み版を作ってみました。
↓
続西遊記メモ 第一回試訳 縦読み
2022年5月11日水曜日
女仙外史試訳メモ1
以前に試訳した女仙外史第一回をFANBOXで公開しました。
月の女神の嫦娥が天界で因縁をつけられて下界に降ることに成るわけですが、西王母が住まう瑶池の様子が描写され、斉天大聖となった孫悟空が登場していたりと、神怪小説・ファンタジー感たっぷりとなっています。
第二回以降もとりあえずFANBOXで公開していく予定です。
何といっても100回と長いので、長期戦ですが、まとまったら出版(電子出版含む)できたらなと思っています。
FANBOXでは、ほかにも下書きやメモ類を公開・先行公開していきます。応援していただけると、モチベーションが上がります。
2021年8月12日木曜日
続西遊記メモ1
■続西遊記
『西遊記』には、別の作者が書いた関連小説がいくつか残されている。
主に、『続西遊記』、『後西遊記』、『西遊補』 などだ。
このうち、『後西遊記』、『西遊補』は、翻訳、紹介された本があるので、『続西遊記』について翻訳がないか調べてみたところ、今のところないようだ。
『続西遊記』は、江戸時代には日本に入ってきていた。
清の嘉慶十年(1805)の本が残されている。
■馬琴などが酷評
滝沢馬琴が批評を残しているが、一読すると、酷評そのものである。
馬琴の「続西遊記国字評」が「早稲田大学図書館古典籍総合データベース」で公開されている。
馬琴によれば、清代の作で、作者はおそらく、評点と序に名前のある真復居士だろうとしている。(馬琴は、表題にある貞復居士ではなく、落款にある真復居士が正しいだろうとしている)
理念と内容が一致していないだとか、ダブルスタンダードだとか、 『西遊記』で成果を得て仏になったのに、また悟っていないのと同じことをしているのは、『西遊記』の意図を理解していないだとか、蛇足だとか、女装が悪趣味だ、などなど。
ただし、同じ文章の中で、『西洋記』にも、わずかに触れており、それよりはずっと高評価。
また、依田学海が、『四大奇書・上』(博文館、1896-1909)の「西遊記考」の中で触れており、これも酷評。文意極めて鬱嗇して、その筋透らず。一巻を読みてもはや眠気をも催すべきもの、だとか、前記作者の意に背戻するを甚し、といったような書かれ方をしている。
また、前編に続けて書かれるものであれば 、前編の遺漏を補うか、趣を易えるべきなのに、『続西遊記』には、それができていないという。一方、『後西遊記』は、文学としても高い評価を得ている。
『後西遊記』は、木村黙老からも高評価を得ていて、『続西遊記』『水滸後伝』『西洋記』等の上に出るとされている。黙老の「後西遊記国字評」は「早稲田大学図書館古典籍総合データベース」で公開されている。
前後して、久保天隨 述『支那文學史. 下』(早稲田大學出版部、18ーー)[早稻田大學四十三年度文學科講義録]の中でも、『後西遊記』は高評価を得ているが、『続西遊記』は「命意すでに拙、文辞極めて鬱嗇、まことに狗尾なり」と、学者間で、低評価であることに定評ができてしまっていたようだ。
■実は馬琴の評は酷評ではない
ところが、馬琴の国字評は、一見酷評に思えるのだが、『続西遊記』曲亭馬琴「西遊記抄録」 解題と翻刻(上) によれば、実は、馬琴としては結構、好意的な評価だったようだ。
西遊記のような重複がなく、淫奔なことを書いていない。後半五十回以降が、尤おもしろく思えたといった評価になっている。
馬琴は、『続西遊記』を、「機心が動く→妖魔登場→機心が消えると妖魔も消える」という流れの反復として考えていて、心の放縦が妖魔を引き寄せるという『西遊記』では隠されていたテーマをはっきりさせた功績があると言っている。
低評価だから読む価値がないと断じてしまわず、辛辣な批評で有名であったらしい馬琴が見るところがあると思った作品であるし、そろそろ評価が見直されてもいいのではないだろうか?
■概要
三蔵法師一行が、天竺でお経をもらった後、またしてもさまざまな妖怪に邪魔されながら帰国する話。
ただし、悟空は如意棒を、八戒はまぐわを、沙悟浄は宝杖を取り上げられて禅杖を渡され、殺生せずにお経を護送するように言われる。また、四人を見守るようにと、比丘僧の到彼と優婆塞(在家信者)の霊虚子が付けられる。
というところ。武器がないために、苦戦を強いられ、助けを求めに行ったり、お経の力を使ったり、到彼僧や霊虚子によって助けられたり、やはり武器を取りもどしたいと何度も盗みに入ったり、女装したり、あれやこれやで妖怪を退けながら、東をめざす。
■機変・機心
帰り道でも妖怪が出てくるのは、悟空に機変の心が残っているから妖怪を引き寄せるのだとされ、八十八種の機心というのは、姦盜邪淫などなどと説明される。
「機心」は、荘子・外編に典故を取っており、「機会があるから何かしでかす、何かしでかすのは機心があるから」というような解釈になると思われる。
つまり、騙そうとする心、利益を得ようとする心、何かしでかそうとする心が、妖怪を引き寄せるから、それを克服しながら旅を続けるという事になる。
2021年8月11日水曜日
混元盒五毒全伝メモ
『 混元盒五毒全伝』または、「張天子収妖伝」。清代の版本しか残っていないが、おそらく成立は明代。
版本、成立と発展等については、山下一夫「混元盒物語の成立と展開」参照。
『 混元盒五毒全伝』富経堂本と、後代の小説「聚仙亭」、燕影劇「混元盒」などを読むことができた。
後代の小説「聚仙亭」(『聚仙亭全伝』)は、『 混元盒五毒全伝』富経堂本二十回を十回にまとめただけかと思っていたら、そうではなく、細かい部分が、だいぶ省略されたり、合理化されたりしていた。
混元盒(こんげんごう)は、中に妖怪を封じ込めることができるふた付きの宝器。ただし、小説中には、混元盒の形や色に関しての記述はない。
一部の風習として、端午の節句に、五種類の毒のある生き物を描いた五毒図を描いて壁に貼ったりすることがあるというが、「 混元盒五毒全伝」は、その由来譚となっている。
五毒については、五種類とされてはいるが、何であるかは確定されていないようで、作中でも、ヒキガエル、サソリ、毒蛇、ムカデ、蜘蛛、ヤモリの六種類が 混元盒に収められている。
燕影劇「混元盒」は、すでに「封神演義」の影響を受けており、冒頭から金花娘娘が「截教」だと名のっている。
2021年1月28日木曜日
緑野仙踪メモ1
『緑野仙踪』
八十回または百回。長い。
清代の神怪小説は、明代のものと違い、社会描写が強くなっている。
戦前の抄訳である、山県初男、竹内克己 共訳『不老不死仙遊記』(1933年、立命館出版)を読んでいればわかると思うが、世情を描き出す筆から、『金瓶梅』と比較されることもある、かなり大人向け部分のある作品である。
児童向けの翻訳である、奥野信太郎訳「緑野の仙人」(1956年、東京創元社「世界少年少女文学全集 東洋編」収載)で読んだ人は、全貌を知ったら、びっくりするかもしれない。
百回本は、特に、描写が詳細なため、手書き抄本しか残っていない。
八十回本は、出版された本が残っている。また、現在流通している刊本の多くは八十回本をもとにしており、百回本をもとにした刊本も、『金瓶梅』同様、問題になる部分を削除してある。
百回の手書き抄本の影印は古本小説叢刊に収められているものなどがある。
百回影印本では、主人公は「冷于氷」、倭寇の大将は「夷目妙美」となっている。
出世の道を断たれた主人公が仙人を目指し、火龍真人から秘法を授けられ、各地をめぐって妖怪を退治したり、弟子を取ったり、人助けをしたり、戦争にかかわったり、貪官汚吏をこらしめたり、と修練していく。そのあちこちでの師弟や人々との関わりなどから、世のありさまが詳細に描き出されていく。
2021年1月23日土曜日
女仙外史メモ1
『女仙外史』
百回。長い。嫦娥が下凡して、術によって民衆反乱を助けるなど、法術バリバリで女傑続出。読みようによっては、実はかなりエロティックな部分もあるのだが、明の永楽年間の唐賽児(とうさいじ)の反乱を描いたものと紹介されるのが一般的だろう。
『平妖伝』は羅貫中、馮夢竜といった著名人がかかわっていたので、売りやすかったのではないだろうか?